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大阪で働く法務パーソンのはなし

芸術鑑賞に学ぶ「情報」の怖さ

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先日、流行の「対話型鑑賞」を初体験しました。

美術館に来てもあまり作品を観ていない

ある調査によれば、美術館の来館者が作品を見るのはわずか10秒前後だそうです。私も美術館は好きだけれど、とても混んでたりもするし、確かに歩きながら見てしまう作品が結構あります。

そして、美術館を出た後、今日はどんな作品を観たか?と振り返ったとき、<作者>の<タイトル>とキャプションに書かれている<作品の解説>というテキスト情報ばかりが思い出され、作品そのものがあまり観られていない現実が浮き彫りになり、それではもったいないと「対話型鑑賞」が生まれたそうです。*1

対話型鑑賞のサイクル

対話型鑑賞は、「対話」の名のとおり、複数人で行われます。そのサイクルは、みる→考える→話す→聴くの繰り返し。鑑賞のコツは、事実と解釈を意識しながらみることで、作品から受け取る直感を、「どこからそう思う?」と事実に着目し、「そこからどう思う?」とまずは自分で解釈します。*2

そして、自分が捉えた事実と解釈を共有し、他者と比較してさらに作品と深く向き合っていきます。

ひとつの作品から受け取るものは人それぞれ

想像していたことですが、同じものを観ても、観るポイントもそこから受け取るものも人それぞれ違って大変興味深かったです。

今回の題材はある人物の彫像で、その人物が何歳に見えるかでも意見が割れました。そして、私たちの見立てに正解はなかったという結末。年齢を聞かされたときの衝撃といったら…こういう衝撃は、美術館で歩きながら鑑賞したり、キャプションを読んだりするのでは味わえなかったに違いありません。

与えられた情報で見方が変わってしまう

今回の対話型鑑賞を振り返ってみると、「この彫像は●歳の●●です」という情報を与えられた後、作品に対する私の印象が変わってしまったという事実がありました。それまで、この人はどこか哀しさみたいなものがあると感じたけれど、途端に残酷な人に見えてきてしまったのです。芸術鑑賞だと、それは楽しみ方の広がりあるいは深まりですが、現実社会ではものすごく恐ろしいことだと思いました。

「この人は勇敢なリーダーでエネルギーに満ちている」と思っていたものが、「暴君です」という情報を得ることによって「冷酷で無慈悲な悪のオーラを放っている」という印象に変わってしまうおそれがあるのですから…

事実と解釈を分ける

「事実」と「解釈」を分けることは、問題解決の場面では常識ですが、今回、対話型鑑賞を体験してみて、改めて「解釈」の多様さや可能性を痛感しました。

たとえばクレーム対応で「お客様はかなりお怒りでした」とか、内部通報で「申出者はかなり思い詰めていた」といった報告が上がってくれば、そういうふうにインプットされるほうがラクだから鵜呑みにしてしまいがちです。でも、それは対応した人の解釈に過ぎなくて、私が見聞きしたら違うように感じるかもしれないし、何より本人はそういう意図ではないかもしれません。
あるいは、最初に一度お話を聞いて「厄介なお客様」と感じたのに、「役員」という情報が与えられたら、「示唆に富むことをおっしゃる」とか「解くべきイシュー」みたいに感じてしまうかもしれません。

対話型鑑賞では、表現や受ける印象にはバイアスがかかっていることを改めて実感しました。
仕事柄、事実関係の確認は欠かせず、「事実」と「解釈」の分別は慎重にやってきたつもりでしたが、これからは一層慎重に事実ベースの確認をしなければと肝に銘じましたし、常に中庸を心がけ、バイアスの存在を知った上で問題に対峙する必要があると改めて気づかされる体験でした。

*1:その源流は、MoMAのVTS(Visual Thinking Strategies)であり、京都芸術大学の福のり子教授が日本に導入されたらしい。

*2:美術作品の鑑賞方法については、ベストセラーの以下の本もかなりオススメ。